遊園地にあるゴーカートではないカートを探して、素人なりにたどり着いたのが今は姿を消してしまった鈴鹿サーキットのアドバンスカート。小学生で身長120cmから乗車可能。普通免許がない場合はコースライセンスの取得が義務付けられるなど、カートレースの入り口を予感させるアトラクションだった。コーチがいるわけでもなく親子で我武者羅に走るわけだが、この頃既に大観選手に追いつけなくなっていた。体重差が20キロ以上あったこともあるが、彼は徐々に早くなっていき、オジサンは頭打ち状態。今から思えばドライビングテクニックなどはなく、目一杯ステアリングを切ってフロントブレーキでねじ曲げて、カート理論も荷重も何もない。アウトインアウトだけは意識してたがそれだけでグレードAに到達することはなかった。当時の体重は75キロオーバー。
大観選手は数セッション走って平気でも自分にとっては一大事。乗車翌日は手が震って字も書けなければ節々が筋肉痛でラジオ体操もできない。今まで意識したこともない筋肉も痛い。あばら骨も痛い。何故そんなにまでして付き合ったのかはわからないが自分は早く走れるとでも思っていたのだろうか?良識ある大人であればこれくらいで茶を濁して終わらせるところだろう。園長、気がつけ。
ほうろく屋カップは、ほうろく油屋さんが仲間内で開催した美浜サーキットレンタルカートレースパック。当時は大観選手少し走りがわかってきていて上手な素人くらいにはなっていたんだろうか。まだ子どもで体重が軽くアドバンテージがあり一番前を走るようになっていた。15週もLAPがある試合なので、フルコースを1分弱のコースなら周回遅れはないだろうと思っていたがその悲劇は現実となる。14LAP位だっただろうか、バックストレートで振り返ると縦に並んだLEDランプが追いついてくる。大観選手だった。体重差以外では負けていないとどこか思っていたが随分なスピード差。息子はオヤジの顔を振り返り見ながらゆうゆうとストレートで追い越していった。早くなったものだ。感心が悔しさに似た感情に変わるのには時間はかからなかった。
試合によっては後半チームの表彰台もあったが、早いドライバー順に全半、後半に別れただけの試合なので後半チームの表彰台に意味があるかと言えば微妙。偶数番目と奇数番目ならまた意味は違ったかもしれない。
ステアリングは180度回してフロントブレーキで曲がる以外の方法があるんじゃないだろうかと思い出したのはこの頃。研究しだすと止まらない性格の琴線に触れたのかもしれない。体重はまだ75キロ超え。お顔もおなかもムチムチ。
2017年7月のある週末、大観選手がレーシングドライバーの訓練生として入門するかどうかの相談に石野サーキットへ出かけた。そこではATEAM Buzzのてっさんが待っていた。「大観、お前は何しにここへ来た?」「レーシングドライバーになりたいんだな?それなら色々と教えてやるが、レーサーになれるかどうかはお前次第だ。」当然の事である。世間では卒業すれば〜になれる専門学校、〜の資格が取れる専門学校といったコピーが散見されるが、それで食べたり、専門職として活躍できるかは上から数えて一定の技量がないとプロにはなれない。てっさんはレーサーになるために必要な指導はするが約束はできないとハッキリ言ってくれる。大観選手の覚悟は確からしく「やります」と言い切った。「そうか。俺がレーサーにしてやる。」てっさん言うことカッコいい。
「お父さん、息子さんが一体どんなことを手掛けようとしているのかは知っておいたほうがいいと思います。」その通りだ。「ですから息子さんが乗る車両を試乗してみてください。」「レンタルスーツは受付で借りられます。」「右がアクセル、左がブレーキです。ハンドルは特に説明は不要ですね。」しかし体重が75キロ超えの自分にとってはレーシングカートのシートは小さすぎた。コースには出てみたものの不具合が起こる以前にピットに戻った。おしりと腰が狭くて痛い。「じゃあこのカートは少し大きめだったと思います。こちらでどうぞ。(ΦωΦ)フフフ…」初めに乗った車両はKT100。少し大きめの車両は写真を見てもらえばわかる人はわかるがMAX-MOJO。「この車両はもう少しパワーがありますので、なんだったらタイム出してきてください!」確かに先程のKT100よりは座りやすかったが、エンジンのパワーがありすぎる事が認識できたのはコースに入ってから。全く扱えない。プライドのかけらを振り絞ってストレートではアクセル全開。すると自分の後ろ姿が見えてくる。幽体離脱だ。心よりもカートが先に行ってしまう。なんて恐ろしいマシンなんだ。鈴鹿のレンタルカートなんておもちゃだ。そして全く曲がれない。10LAPも走れてないと思う。命からがらピットに戻ってきた。ありえない程の疲労。10分足らずで1週間分の体力を使い切ってしまった。
「お父さん、せっかくですからもっと走りましょうよ。これからですよ!行けますよ。」もう限界だ。確かにもう一回乗ったら逝けるかも。
思ったとおり全身疲労に加え翌日から節々が痛みだし、感じたことの無いような筋肉痛。結局その後1週間まともに仕事ができなかったことは言うまでもない。園長失格の手前の△ぐらい。
「父さん、週末の耐久レース、大人のドライバー少ないんだって。」
「そうか。」
「で、父さん出ない?少しでも集めてほしいと言われているんだ。」
「どうせ足手まといになるからやだな。格好悪いし。もう少し上手だったらいいんだけれど...」
「いや、エンジョイレースらしいよ。楽しく完走すればいい。」
「完走すら怪しいんだが。大がチーム入った時の体験試乗で寝込んだじゃん。」
「エンジンレンタルカートより小さいって。」
注:出力は確かに控えめ
「それからバイクメットと長袖長ズボンOKだって。」
注:そんなレースはない
「じゃあチームにはお世話になっているから出てみるかな。」
何も知らないお父さんは長袖長ズボンで石野サーキットパドックへと向かった。人生に分水嶺があるとすればこの日が境ではないだろうか。
「総監督:それでは練習走行をしますので装備して乗る準備をしてください。」
「父:大、話が違う感じなんだが...。」
「大観:そうみたいだね。皆さんスーツ着てるみたいだし、おれも知らんかった。」
は、はめやがったのか?これは高校生くらいに標準インストールのよくわからないことはそのままにしておくオトボケ機能か?
会社では毎年健康診断を受ける。しかも人間ドックで念入りだ。結果はご多分に漏れず色々な数値も年相応に乱れる。後日検査を担当する健康財団から一人のアドバイザーがわざわざ面会にやってきた。どうやら検査結果について物申したいようだ。「過去のデータから線を伸ばしますと、もうギリギリです。ウエストも85です。体重も75キロを超えました。このままではあなたは死にます。」あなたは死にます。」あなたは死にます。」あなたは死にます。」あなたは死にます。」
この日を境に体質改善に取り組むことになった。生活にジョギングを取り入れ、炭水化物の摂取を抑えた。妻のワンダーコア2も活用した。ビールも殆どやめた。丁度耐久レースもある。もともと重量もネックだったのでレーサー体質に変えていこう。決心は思うだけだが道のりは険しい。
「総監督:じゃあ軽く流してカートに慣れてきてください。無理に速く走る必要はありませんよ。」
バイザーを下げ、いざコース内へ。MZ200エンジンはスポーツカートと呼ぶに相応しいが、素人の手に負えそうな、KTやMAXとは違った楽しい範疇のパワー。エンジンの特性はリニアな感じで、レンタルSodikartよりはパワフル。車が嫌いでなければ楽しい。
初めは公道を走るかのように初めは慎重に。サスペンションが無いので路面を直に感じるダイレクト感。コーナーを抜ける度に徐々にスピードを上げていく。だんだんカートの挙動が不安定になってきて、恐怖を感じるスピード域に達してくる。怖いのでアクセルを抜く。空走が1番不安定である事は知らない。いっそのことブレーキを踏めば良いのだがコーナー中にブレーキを踏んではいけないという自動車学校的の知識が邪魔をする。アクセルオフにして惰性でコーナーへ入っていく。当然グリップ力は最低な状態なのでカートはコーナーの外へと膨らんでいく。縁石を超えそうになったあたりで恐怖に負けて強いブレーキを踏んでしまうとカートは回りながら外へ飛び出していった。
「交通事故!?」
そんな考えが頭をよぎる。一瞬何が起こったのかがわからず呆然とする。カートがクッションに刺さる。激しい鼓動で我に返る。スピンアウトなどサーキットでは日常茶飯事であり特に気にすることではないのだが些細なことでドキドキしてしまうのがオジサン。普通車の感覚でブレーキを踏んではいけないのだ。ABSなど便利な装置は何もない。トラクションコントロールも、デフもない。サスもない。全て自分で行う。これがレーシングカートの楽しみの真髄とも言える。この時点ではまだ技量は0である。
同じチームになったおじさんが言いました。
「木村さん、今日は長袖長ズボンでいいと言われて来たんですが、どうやらそうじゃなかったらしくて。」
「あ、あなたもですか!」
このドライバー集めには何か組織的なニオイを感じた。
当日搭乗するカートが決まった。そこにはGT-1が搭載されていた。GT-1 エンジンとは MZ200エンジンより少しパワーが有り1周あたり2秒程度早く走れる。エンジョイオジサンチームにはハンデの如くこのエンジンが与えられた。しかし問題がある。そもそもコーナーがうまく回れないとせっかくパワーがってもオーバーテイクできない。追いついてはコーナーで離されの繰り返しとなる。
無情にもレースは定刻通り始まる。自分の番となりコース内へ。全力でホームストレートを走ってくるライバルカーを避けながら合流するのも怖い。エンジョイチームとはいえ一所懸命走る訳だが、とにかくカートが旋回しない、ブレーキを踏めばテールが流れて怖い。ヘルメット内の空気の薄さに耐えながら何とか担当の10分を耐える。ただ走ってきただけだった。アウトインアウト、スローインファーストアウト、ライン取り。そんな事は意識しても全く戦闘能力はない。
上手なMZ200には抜かれていく。エンジンのおかげでエンジョイMZに追いつくと、あとはそのまま。抜けない。ピットサインが出ると戻っていく。ただこなしているだけ。どうして皆あんな快速でコーナーを周って行けるんだろう。杉ちゃんに聞いてみる。
「木村さんしっかり減速してからコーナーはいってるでしょ?そうじゃなくってブレーキを残しながら入っていくんです。それも怖い?じゃぁコーナーに入る前にアクセルオフにしてエンジンブレーキで減速、外側にフラれるがままシートにもたれて見てくださいよ。」
すっげー怖いから減速してしまうのだが、一か八か試してみるとなんとタイヤがグリップしてカートがインに向くではないか。「こいつ・・・曲がるぞ!」毎回うまく行くわけではないが、確実にコーナーを曲がれる頻度が上がっていく。そして禁断のオーバーテイク。今までの自分と同じことで悩んでいる早くないMZマシンをインから悠々とオーバーテイク。エンジンはGT-1であったがオーバーテイク。初めての実戦でのオーバーテイク。
総監督
「木村さん、ついにオーバーテークの快感を覚えてしまったぁ〜」
戦果は散々たるものであったが個人的にはカートに秘められた何かに手が触れた日となり、「耐久レースなら手に負えそうだ。大観はスプリント、俺は耐久で生きられそう」という文字が頭に浮かんだのはこの時だった。まだ思っただけ。何も始まっていない。
「コーナーに入る前にアクセルオフにして、エンジンブレーキで減速、外側にフラれるがままシートにもたれて見てください。」
Corridor 杉山佳生
2018年紅葉も深まった12月。大観選手初めてのマイカートTonykart Racer401が届いた。いままでお世話になったBuzzレンタルCRG号ありがとう。君が彼を石野SS150クラスの頂点へと導いた。
組上げ後の初走行を業界ではShakedownという。乗り味はどうか?マイカートなのでどんなわがままなセッティングも可能だ。というかこれからは自分でしなければならない。自分で調整してみてわかるATEAM Buzzのノウハウの深さ。学ばなければならない事は山のようにありそうだ。なんだか羨ましいという間違った感情が湧く。
だんだんと幻聴が聞こえ始める。「こちらへどうぞ。ほら、何も特別なことはありません。違いは始めたか始めないか、ただそれだけです。」親として聞いていたはずのてっさんの言葉が幾度となく脳裏をこだまする。
そうか。何を心配していたんだ。そもそも心配とは何か。何か困ることがあるのか?誰かに迷惑をかけるのか?病気にでもなるのか?世間体?世間体を気にしたところで世間は自分を食わしたり世話をしてくれてない。具体的にはなにもない。世間体なんておばけが怖いのと同じくらい妄想じゃないか。起きてもいない何を心配してどうなるんだ。起きもしない心配をしてどうするんだ。隕石にあたって死ぬことを心配したほうがましなぐらいじゃないのか。急にヘブライ語で挨拶しろとかじゃない。資金の工面だって本気になればできる。車両だって、てっさんに一言いうだけで目の前に現れるはずだ。そして体を動かすことと言えばステアリングとアクセルとブレーキ操作だけだ。あとは、マイカートに乗ってただ走り出すだけ。行動に移すことと言えばアクセルを踏むだけで※1簡単な事じゃないか。※2少し練習すれば俺だって早くなるさ。
※1 家族持ちには「母ちゃん」という最大のハードルもある。年を取るほどハードルが上がる。しかし業界関係者が周りに全くいない(俺の横には大観のおかげ?で既にてっさんが居たが)状態からの1歩は大変な覚悟がいる。そもそも情報がない。夢を叶えられるかどうかは、この1歩を自分で踏み出せるかどうかにかかってくる。0歩は何倍しても0歩。園長木村、凄いのか、大人気なかっただけなのか。
「レーサーたちは特別な人たちではありません。違いは始めたか始めなかったか、ただそれだけです。」
Buzz Factory 菊池哲也
2019年早々、鈴鹿で練習対応中のてっさんのところへ訪問。耐久レースでのカートの楽しさの実感や大観選手のマイカート所有を見ていて自分に実力がないのか試してみたいという思いも語った。ついでに体重も落ち戦闘能力も若干上がった気もする。でもかけられる予算が限られている台所事情も伝えた。もし始めるなら細く長く続けたいとも言った。今まで長身の自分は小さなカートにか乗っておらず、自分の体に合ったもので試したいという思い... 言い訳をしなくて済むカートに乗ってみたい...それはマイカート。しかし歳は間もなく50である。年甲斐もない発想。てっさんは優しく笑って「お父さん、息子さんの応援だけでいいじゃないですか。年齢や体力を考え
「木村さん、ここを何処だと思ってるんですか。鈴鹿の南コースですよ?そんな話をしに来て誰か止めてくれるとでも思ったんですか?」 わざわざやってきてなにおかしな事言ってるんスカこの人はもう。
そしてチームとして恥ずかしくない中古カートを探してもらう約束をしてその場を離れた。普段は「無理に勧めて不幸な人を作ってはいけない」が口癖のてっさん。肩透かしかノレンに腕押しか。こうして土俵に倒れ込んで土のついた園長は一線を超えていった。というか既に土俵の中だ。
最後の間違いはてっさんに相談した事だった。
勢いあまってカートを注文してしまった。しかし一体いつ見つかるのかもわからないので気長に待つ。そしてMZ200の耐久レース。これよりもパワーのあるマシンで走る近未来を想像しながら走る。しかし実際思うようには走れていない。MZ200-FDタイヤですら扱えていない。手配してしまったけれど手に負えるのかなぁ。KT。
およそ1年経って再び人間ドック。「え?無い無いっ!え〜」内科医の女医は驚きながら俺の下着を勢いよく下げた。無いはずはないんだがと驚いたが彼女が探したのは贅肉。探してももうそこに贅肉はなく、左右に割れた腹筋もうっすら見える。「頑張りましたね〜」と女医は人の腹をかき回しながら言う。この時点で体重は66キロ、ウエストは79cm。驚くのも無理はない。女医さんは職務熱心すぎておなか以外一切視野に入っていなかったようだ。
こうして体重は落ち、レーシング走行に於ける言い訳が1つ無くなった。
健康財団談話:「死に至る病にかかるリスクが高まります。」とはご案内しておりますが死にますとは申し上げておりません。
勝手な勘違いが緊張感を産み良い結果をもたらしたと考えよう。と言うか子どもたちにもそう言ってるだから自分もそうしないと。「人の話をよく聞きなさい!」
「練習とは、自分の練習不足を自分にわからせる作業である。」
園長 木村巧
杉ちゃんは大観選手以外にも若いレーサーたちの世話をしている。倉庫から61号車を出してきた彼に声をかけた。
「もうエンジンのかけ方わかるよな?」
「えぇっと、横についてるスタートボタンを押せば...」
コリドー杉山氏は一気に気分を害した。彼が質問したのはプラグを外してアースし、ガソリンを呼んで、という返事を期待していたからに他ならない。あっくんほどヒートアップしないので杉ちゃんは安心だ。
お昼過ぎににぎわう2階休憩室。皆昼食をとったりソファーでごろ寝をしたりスマホで時間をつぶしたりとコロナの前は日常的な光景だった。大観選手と自分も窓際のハイチェアーで食事を済ませスマホ片手に休憩をとっていた。
「サーキットに来ているときには早く走る事だけを考えろと言ってるだろう!ゴラァ」
あるカデットレーサーがチームメイトからスマホを借りて遊んでいたところを運悪く(?)父親に発見されて部屋から引きずり出されていく。間もなく地響き。建物が揺れる。背中を丸めた俺は隣で背中を丸めている大観選手にヒソヒソと話しかけた。
「あのさ、父さんなんか今ポケゴーやってるんだけどさ、自分が怒られたというか、何かこう~今自分悪いことしてるという気分というか、恥ずかしいという感じか、駄目だよな。その~心構えが違うよな。」
背中を丸めたままスマホ片手に別なゲームを楽しむ大観選手はヒソヒソと答える。
「そうだね父さん......。」
心がけの違いは成績の違い。彼は今、世界を走っている。
「不幸な家庭を作ってはいけないので。」
てっさんの口癖だ。親と子の思いや熱量が違っていたり、求めるものと到達可能な領域のギャップとか、経済バランスとか。これらがうまくバランスしないとせっかくの楽しいレースもつまらないものになってしまう。
自分は大観選手に「やれ」とも言ってないから勝手にやってるし、その具合を知った上で「俺もやってみたい」と、誰かに頼まれたわけでもなくこのような結論に自分自身で到達したのだから不幸な家庭になるはずがない。と信じたい。