人生の転機となるレーシングカートが納車された。喜びとやってしまった感が入り乱れる。そしてShakedown。久しぶりに搭乗するKTマシン。でも今回は体に合っている。足も伸ばせるし、シートもきつくない。これはマイカートだ。
エンジンは新品の為慣らしから入る。回転数を上げすぎずにアクセルワークのみで加減速を繰り返す。この時点で加速の違いをかなり感じる。同じフレームにMZエンジンを搭載した耐久レースには何度か出場して慣れてきたような気でいた。今思えばこの頃でも全く荷重をわからずに乗っている。エンジン全開していったらどうなってしまうのか。そしてその時は来た。
「木村さん、もう全開でいいすよ。思いっきり行っちゃってください。」
耐久レースの時のように走ればいいんだ。そう思ってホームストレートを駆け抜けていくやいなや、「早いっ、早すぎるっ」やっぱりKT100エンジンはMZとは違った。怖い。恐れおののいてコーナー手前から減速(←間違い)。迫りくる1コーナーの看板。荷重をわからずに乗っているのでカートもすぐにスライドをはじめる。そんな乗り方すれば誰でも怖い。合宿にも書いたがスピードを作って落ち着いてからコーナーに入るのは最も曲がらない進入だから、最初に治すところかもしれない。タイムは40秒後半。レンタルカートのSodiより遅かったような...。
もとはといえばメタボ対策で始めたジョギングも生活の一部。そしてレーシングドライバーは強靭な肉体を持たなければならない(?)ので、その性能を確かめるべく、春日井市で行われているチャリティーマラソン「絆マラソン2019」に出走してみる。もともと運動畑ではなく、健康と体調を考えた、ある程度空調の整った部屋で過ごすことが多かった人生。究極の畑違いチャレンジ。
小道具として家にあったレッドキャップをかぶった。これは表彰台に上がった者しか手にできないもので自分はまだ持っていない。木村は息子に言った。「自分で手に入れて返すから借りるよ。」一体いつの話になるかわからないような約束は簡単にするものではない。
絆マラソンはチャリティーマラソン。特に仮装に関してはドレスコードに無かったと思うのだが経緯もあり多くの出走チームが仮装して走るので自分も仮装。そしてレーシングドライバーはマシンが無くても早いことを示さなければならない、決まりはないのであくまでエンジョイ出場。レーシングスーツで走るのは最初の数周でその後はATEAMTシャツ。そのまま走り続けたら暑すぎてせっかく死ななくて済んだのに死んでしまったかもしれない。成績はともかく完走。50直前で運動能力が回復するとは思ってなかった。
練習中雨が降ってきた。
「どうでもいいレインタイヤあげますから走って見てくださいよ。」
「木村さん、ドライと同じで全開でいいすよ。思いっきり行っちゃってください。」
ただでさえ怖いのにレイン走行とは。言われるがままコースに出る。てっさんは何を聞いても大体「思いっきり行っちゃってください」としか言わない。レース走行するときの事を思えば、ドライと同じで思いっきりいってはいけないのだが、この時はドライと同じようなフィーリングだった。その後に怖くて仕方がない時期が続くことになるのだが、なぜかこの時はメンタル的にも挙動的にも何とかなっていた。もちろん50秒代後半。そもそもスピードが出ていなかったからかな?臆病が計算に入った上での「思いっきり行っちゃってください」だったんだろう。
1コーナーが怖い。しかも遅い。ダンロップゲートを過ぎたあたりからブレーキを踏み始めるから当然だ。中学生だが大観選手の上のSSクラスの先輩、大石澄海選手に聞いてみる。
「1コーナーはどう走ると早くなりますかねぇ」
「そうですね。自分は、まずヒャッホーって曲がって...」
「ヒャ、ヒャッホー...」
天才に質問した自分が間違っていたんだろう。天才ほど現象を擬態語、擬音語で表現する。おじさんは何一つ汲み取って理解することができなかった。
因みに彼はeスポーツ選手権静岡代表として有名だ。
49歳の誕生日当日。石野Rd.5。初参戦。準備が十分であったかと言うと不十分。それでもレース当日は来た。不甲斐ないタイムトライアル、予選。SS150クラス決勝は6台中4番グリッドスタート。抜きつ抜かれつ不甲斐なくレースが進行し中盤に差し掛かった頃だろうか。前方でなにやらアクシデントが発生。芝生の中にカートを見た気がする。前方には2台のテールが見える。もう一台先の車両は更にコーナーの先だろうか。走っても走っても2台のテールしか見えない。と言うか走るのに一所懸命で算数もできていない。あれから3周ぐらい走っただろうか。「ひょっとしたら3位?」冷静に周りを見ると現在3位をキープしているような気がした。やっぱり3位だ。4位以下ならガツガツしないが表彰台がかかっている事に気づく。いや、勘違いだったらどうしようか。表彰台ならまだしも4位の死守でブロックラインは格好悪い。いい年をしたオジサンが若者にすることでもない。いや、園長先生は子どもの人生に関わり教育的に現実の厳しさを...などと1/100秒くらいの間に考えているとすぐ後ろにはチームメートの間下選手が迫る。やはりサーキットは勝負の世界。大人げないとは思ったがブロックライン走行。迫るエンジン音。ブロックラインはタイムが出ない。それでもブロックライン。迫る間下選手。走りにくい。でもブロックライン。気づけばチェッカーフラグが見える。あれ?持ってるだけ?あと1周。レベルの高い試合とは思っていない。そしてチェッカー。幸運が味方して初出場で表彰台に登ることができた。何という事だろう。木村巧49歳。誕生日プレゼントはレース初参戦と石野サーキットのトロフィー。園長先生はどんどんレース沼の深みへとハマっていく。この時点でくるぶしぐらいだろうか。
しかしさすがはオープンクラス今はなきSS150クラス。SSクラスでは36秒台、まれに35秒台をマークする石野コースで38秒台でバトルという体たらく。みんなー、シャキッと走ろーぜー。俺もか。
こうして何年もかかるかと思われた絆マラソンで大観選手から借りたレッドキャップの返却はいとも簡単に行われた。この時点でまだ荷重のことはわかっていない。
カート練習にはタイヤ交換がつきもの。実は簡単そうに見えてもコツが必要な作業で特にカート初心者にはハードルが高い。30分もかかるケースも稀ではなく、疲れ果てて1日の練習が台無しになることもチラホラと。園長も例外ではなく、要領悪くなにやらこねくり回す。
「お父ちゃんお困りですか?おっ!いいとこまで行っとるやないですか!」
タイヤの内側がホイールの山の部分を越えていけばそれでいいのだが、それが難しい。
「あとこれだけや♪」
あっくんがひと押しするとテコでも動かなかったように思われるタイヤが簡単にはまる。
「もう半分もこうやで。よっ!ほ~らはまったで~」
「もういっかいやるから見といてや~ポコンポコン」
自分はあんなに苦労して煮詰まっているのに、あっくんは4本とも軽々とはめてしまう。ありがとうあっくん。
「お父ちゃん、もっかい練習やで。」
「あ!」
スポスポスポスポ
無情にもはめた時よりも素早く、やりかけたホイールも含めて全て一瞬で振り出しに戻された。練習の機会を増やしていただきありがとうございます。
うっうっうっ( ;∀;)
初戦レースの少し前、オヤジが逝った。認知症を発症してからおよそ10年。とにかく車好きで自分とは対象的に車人生。資金が工面できると話題の車に手を出す。いや、工面できてなくても何とかしてたような気も。
公道でしか走らなかったがいつも2番手。先頭が必ず覆面パトカーという皮肉。「オヤジよ、サーキットで速く走ったら大勢に褒めてもらえたのになぁ」と思った。返納したはずの免許の更新と若い頃家業として頑張っていた仕事の取引先の事を意識がある限り気にしていたオヤジ。腕に黒帯こそ巻かなかったが自分の中では車好きなオヤジへの弔い戦でもあった2019石野Rd.5。ちょっとはましな献花になったかな?
ナグモンという執筆時点で古希の近い知人がいる。交通安全意識が高く、自分がレースカーに乗っていることにはあまり理解を示していない。それもそのはず、若い頃ご自身で結構やらかした経験からくるものであった。そのナグモンが「1回位カート乗ってみてもいいですね」と驚くべき発言。いつがいいでしょうねと段取りを考えていると、ある日ナグモン宅の冷凍庫が故障。1クリックで冷凍庫を買い、一人で移動をしている最中に背中で「ピチ」(本人談)。気を失う程の激痛が背中に走った。救急連絡をしようにも激痛で電話を取りにいけず、しばらく床で倒れているしかなかったらしい。背骨の圧迫骨折だ。残念ながらその後はコルセット生活となり、多分もうカートに乗ることは無くなったと思う。
認知症は「あれ?おかしいな??」と思うところから始まる。所感としては1:99位の比率で正常。時間が経つにつれて5:95、10:90とおかしな時間が増えていく。ポイントは半分ボケはあまりなく、おかしいか正常(老いはあります)かの往復だ。
自分の健常者人生があとどれくらい残っているかは誰にもわからない。そう。人生はタイヤのグリップ力。序盤でグリップできたあのコーナーも終盤では曲がれない。タイヤはすり減る一方で戻ることはない。一概に何周持つかも誰にもわからないのと同じ。美味しいうちに使わないともったいない。
芸風でボケを乱用する人は認知症に気が付かれにくい。普段からおかしなことばかり言ってるからだ。自分を知っている人たちには説明不要だが、平易に言えば木村は冗談好き。ヤバい。
家族や仲間と過ごせる時間、新しいことにチャレンジできる体力と「脳」力。全てが有限。タイヤのように減っていく。あと1年で認知症や成人病にかかることがわかったとしたら皆さんはどんな毎日を過ごされるであろうか?遠慮や忖度してたら人生終わってしまう。楽しもう1度限りの人生。人生最期の時に遠のく意識の中で「あぁ耐久レース出たかった」なんて思ったら人生心残りだ。そこのあなた。やってみたいのに耐久レース断ってるあなたですよ。
「いつか乗りたい」≒「オレは乗らない」
あの泣く子も黙るかどうかは試してないが、ERS山本龍司氏によるドライビングレクチャー。穏やかそうな表情ではあるが百戦錬磨のレース業界を生き抜いてきた漢。眼光は鋭い。本当のブラックとは何かについても詳しいらしい。
ATEAM Buzzではレーサーの卵を集めて合宿も行う。実は仕事の兼ね合いで自分は一度も参加できていない。合宿したい。でも自分以外は全員子か孫のよう。それでも出たい。
大観選手のシートを固定する金具が折れた。シート下のここが折れるとシートが中に浮いたような状態になり、前向きに解釈すればよりシャーシが歪むようになり、いや扱いきれずにカートが変な方向を向いたり摩擦が増えたり、多くの場合は良い影響はない。レーシングカートはその性格上、どうしても接触や衝突、縁石に乗り上げるショックなどで金属部品に疲労が溜まっていく。どうしてもある時破損するわけだがレース中でないことを願うしか無い。車がこの状態になってくると買い替え時期が近いといえるが中古車を買うとどうしてもこの時期が早くなる。トータルコストは新車が一番安いがイニシャルコストがかかる。但し、これはカート人生を歩んでいる場合で、続きもしないカートライフに新車を買っても無駄となる。見極めはあなた次第だ。
毎年年末に行われるハーレーサンタクラブによるオレンジリボン運動。児童虐待を根絶するべく行われる啓蒙活動。ハーレーサンタクラブは寛容で、ゴールドウイングでのパレード参加も認められた。児童虐待が疑われる場合は誤報でも問題ないので189番まで連絡を。
園長は行く。雨が降ろうと槍が降ろうと前へ進む。子どもたちのために(休園日で誰も来てないしレースやってる日も知らない)。石野耐久レースは3時間。2時間を過ぎたあたりから迷いが出始める。雨に濡れて、寒いし、俺なんでこんな事頼まれもしないのにやってるんだろう...。耐久レースに理屈はない。そこには、完走し、チェッカーを受けた者しか知り得ない深い感動と快感があるからだ。走り終えた者しか感じることにできない言葉では表せない感動が。
気づけば大観選手は大きくなった。鈴鹿のアドバンスカートに乗り始めたのは小学生だった。というか、今はもうタイトルの1つや2つは持っていてもいい年ではなかろうか。若い選手に混ざって是非良い成績を出してほしい。大学は幸田サーキット近くにある。大観選手は学校付近で下宿しているので幸田24耐の拠点は確保できたと思ってもらっていい。部屋を片付けなさい。
今週もカデットクラスを中心にATEAM Buzz TEAM は練習に励む。
「お前らぁ、ちょっと集まれ。」
子ども達がゾロゾロとあっくんの周りを囲む。
「あのなぁ、もうちょっと頭をつかってな、走られへんのか?」
「おんなじ走り方をダラダラと繰り返すだけやったら時間の無駄やからもう練習やめぇ。タイヤがもったいないわぁ。そのタイヤ高いんやで。」
子どもたちの表情がこわばる。カートエンジニアのあっくんの愛のムチ。ライン取りも説明も遠回りが大嫌いでいつも直球勝負。カート理論に精通しドライバーのステージに合わせた鋭い指導ができる。しかし一切カートには乗らないのが不思議だ。原付バイクに乗ったら誰も前に出られないほどなのに。
「何か試してないことを試すのが練習やろ!?」
「毎回おんなじ走り方してても早くもならんしガソリンのムダや。」
その通りだ。檄が続く。そして子どもたちの傍らに立って優しい目で見守る園長。
「あんたもや。」
あ、あんた、も。!?...。う~む、...俺もか。「お前らちょっと集まれ」は指導は子ども達だけではなく頭を使っていないドライバー全員の様だった。その後、前後左右に頭を使って走ってみても大差が無かったので、頭の使い方が違ったようだ。
ある練習日のこと。木村はマシンの整備ではなく書類の作り込みをしていたと思う。レンタルカートセッション時間も終わりに近づき、まもなくスポーツ走行セッション(何故かレーシングとは言わないが、言ったりしたりもするので不慣れな方は訳がわからないことがある)が始まる。大観選手は自分のマシンのセッティングを終えており、気を利かせて父のカートの未装着タイヤを装着しておいてくれた。ありがたい。こういった気遣いが、彼が石野サーキットで愛される理由かもしれない。
大観選手はてっさんの前で作業をしていたので、てっさんは大観選手が父のマシンにタイヤを装着したことを知っている。大観選手がパドックを離れたときに自分はインパクトドライバーを手にしてホイールナットの増し締めの確認をしようとすると、てっさんは力強く言った。
「お父さんは、大観くんの整備を信じていないんですかぁ!」お父さんなのにそりゃないでしょ...父親は最後まで子どもを信じなきゃ。
てっさんの情熱あふれるコメントをよそに自分は増し締め確認の手を止めなかった。そしてホイールのナットに差し込まれたインパクトドライバーのトリガーを引くとホイルナットは勢いよく回った。
てっさん「あっ!」
全てでは無かったものの幾つかのホイルナットは回ってしまった。気まずい空気があたりを支配し、その後てっさんと木村はそれについて言葉を交わすことはなかった。
「自分のミスは、自分の範疇を越えて、
知らないうちに周りの関係者に
大きな波紋を及ぼしている事があり、
なおかつそれを自分がそれを知らない事がある。」
園長 木村巧
2020年の3月に生まれて始めて37秒台が出た。この時点でまだ荷重がわかっていない。波打ちながらスライドしまくるカートを度胸で操っての37秒台。
乗り始めた頃は42秒が出れば本望で(真か否か不明だがてっさんのベストタイムと伺っているが、仕掛ける為の計算された数字かもしれない)、レーシング走行が認められる一人前扱いの40秒以下のタイムで走れるなんて夢のまた夢だった。他人に迷惑をかけずに永遠に練習できればそれでよかった。レーシングカートを操っている自分に酔う。時々飛鳥君に後ろから小突かれたり、自分が絶対に走れないラインで抜いていく。これを間近で見られるだけで幸せだった。最大半径で命からがら旋回している自分をイン側から縁石を踏みながら曲がっていくなんて信じられない光景も目前で見られた。タイヤの寄付どうもありがとう。
何かを達成したとき、あとほんの少しの伸びしろを感じる。現状を100点と思っていないのかもしれない。というかスポーツで100点と考える事はおごりにつながるので危険だ。仮に現状を98点としよう。残り2点が伸びしろだ。だからこの2点にかけてみる。例えば37.87秒だったが、今の技量で37.80秒は出せたんじゃないのか?とどこかで思う。その自分にとって足らない2点のためにまた練習する。これを繰り返すことが長谷川社長の言われる「自然に表彰台だよ」という意味なのだろうか。
「1位なんて目標にしない。
今日の練習で達成できそうな練習をするんです。
それをたくさん積み上げれば自然に表彰台だよ。」
Buzz Factory 長谷川謙一
訃報があった。2020年度よりSS150クラスが廃止される。新設されたのはYAMAHA-FDクラス。車重制限はSS150クラスの150Kgから軽減されSSと同じ145Kgへ、自分は更に体重を落とさないと重量超過。そしてこれが問題なのだが使用タイヤがダンロップFDタイヤ。FDタイヤは耐久レースでも使用しているので乗れなくはないがもともとのBSタイヤに比べてグリップ力が低い。自分は実力もないのにメインストリームのSSクラスへランクアップするか、新設FDオープンクラスへランクダウンか。究極の決断のようにも思えるが答えは決まっていた。SSクラスだ。結果、大観選手の14号車と自分の41号車が一緒に戦うことになり、いや、追いつけないので戦うのはまだ先だが写真ぐらいは一緒に写ることになった。
訃報は更に続く。ブリジストンがレースタイヤの供給を2022年度末をもって終了するとアナウンスしたのだ。この情報を事前にキャッチしYAMAHA-FDクラスが新設されたのだろう。時代情勢を考えれば色々な変化は仕方がないが、モータースポーツ業界が縮小しないような方法で合理化を進めてもらいたい。
吉報と言えそうなのはイベントレースではない現役園長のレーサーキムタク誕生といったところか。雑魚が増えてただ迷惑なだけかも。
ドライもまともに乗れない状況での参戦にもかかわらず天候は無情にも雨。まぁ何という事でしょう。雨での練習など十分にできているはずもなく形だけレインタイヤを履いて出場。もちろんスピンアウト。後輪が5コーナー外のぬかるみにはまって脱出不能。ピョンピョンと飛び跳ねてみたものの状況は変わらず。困っていると、その日マーシャルを担当していたMZ シニアで有名な山崎選手が雨の中駆け寄ってきた。
「きむらさぁ〜ん、自己復帰できそうですかぁ〜?」
「あれ?降りて押していいんでしたっけ?」
「SS150クラスでないので車から降りても大丈夫ですよ〜!」
多分降りて押し出してもいい事を知らないと思って遠くから走ってわざわざ伝えに来てくれたのだ。さすがジェントルマン!初戦から厳しい洗礼を受けたSSクラス。ブルーフラッグも2回ほど振られ、チェッカーはトップ差2LAPという、顔洗って出直してこい級の惨事ではあったが、あきらめないで完走する思い出深い一戦になった。DNFじゃないぞ。
まだ体作りも半ばで体重も十分落としきっていない2020年前半。自分のペースとは関係なく試合は巡ってくる。幸い2戦目は晴れ。しかしシーズンは8月の真夏。
チームメイトとの接触等のアクシデントを乗り越え、ステージは決勝へ。SS相当の実力がある訳ではないので後ろの方を走ることになるのだがシーズンは真夏。灼熱のアスファルト。ヘルメット越しに感じる輻射熱。奪われるスタミナ。減量のために摂食制限を課している自分には相当厳しい状況で、目がかすみだし体力の限界を感じ始める。「そろそろ限界かな?」と思い出した頃にやっとの思いで掲示板を見ると無情にも「残7LAP」の表示が。まだ半分!絶望感と共に視野が徐々に狭くなっていくのがわかる。まるでと双眼鏡ごしの視野の様だ。ヘルメットのせいではない。真後ろでエキゾーストノートを奏でるエンジンの音でさえ小さくなっていく。I am exhausted. しかし自分の呼吸はやかましいほどよく聞こえる。不思議なミスマッチ感。視野も自分から離れていく。辺りも暗くなり何か別の世界で起きていることを窓越しに見ているかのような感覚。世の中に自分一人しかいない。全ては別世界の出来事。呼吸以外何も聞こえない。明日のジョーや、はじめの一歩など、自分との葛藤中に音がなくなる描画がピッタリとはまる。俺は一体何をやっているんだ?レース。ここはどこだ?石野サーキット。誰か俺を助けてくれ。どうぞピットロードへ。苦しい...。踏ん張ってないときまで息を止めなくてもいいの。
結局どう走ってきたのかわからないままチェッカーを受け、その後はパドックのチェアで暫く身動きが取れなくなってしまった。激しい減量後のモータースポーツ世界観は正にボクシングアニメの描画そのものであった。
レンタルカートで優勝経験のある後輩が入ってきた。いきなり早い。俺より早い。てっさんに怒られた。「木村さん、1年間何してたんですか?!」カートの練習はずっとしてました
オジサンを言い訳に何が足らないかを真剣に考えていなかった気もする。乗りさえすれば上達するような気にもなっていた。僅かな上達でも嬉しかったし楽しかった。でも決定的に何かが足らない。それは何だろう。わからないがとにかくそれを見つけ出さない限りはタイムはもう伸びない。
「大観、ちょっと。」
「はい~、え~っと何でしょう??」
「もうええわ。」
呼ばれた時点で呼ばれた意味がわかからないと話が終わる。常時問題点を認識していないと即座に反応できない。塩対応のようにも見えるが、あっくんは誰にでもそうするわけではない。早くなろうという直向きな姿勢と向上心が伺えないドライバーには声をかけない。プロの目に適わないようではプロのレーサーにはなれない。
「なんで呼ばれたかもわからんような奴に
教えることは何もあらへん。」
ERS あっくん
あっくんは最近人になってきて塩対応度がマイルドになってきている。塩希望者は早めに知り合ったほうがいいかもしれない。
「木村さん、ちょっと。」
「はい~、え~っと何でしょう??」
あっくんニヤリとする。
「あぁ、フワフワですよね?怖いんだもん。」
「でも、早く走るためのブレーキやと言うとりますでしょ?」
オジサンには一呼吸だけチャンスがもらえるらしい。
これ以上早い走り方なんてあるんだろうか。でも現実自分をインから刺して自分より小さな半径で自分より早く抜けていくカートが確かに存在することは現実だ。皆いいMojoタイヤを履いているのではないかと物のせいにしてパドックを見て回った事もあった。スプロケやセッティングも比較した。マシンは悪くない。そもそも大観選手やほかのドライバーに乗ってもらうとキムタク号は早く走れる。乗り方が違う。もう飛び出していくような事はないので勇気を出して乗ったことのない乗り方をあれこれ試し始めた。そしてそれには割と直ぐに出会った。荷重である。
今までは無意識のうちに直線で自分で怖くない安全速度まで減速した上で空走状態でコーナーに入っていた。マシンは最も不安定で自動車学校病患者としてはアクセルも踏めていない。どうりでコーナーが落ち着かない筈である。そしてよく追突された。考えてもみれ不必要な減速をするから後続車はたまらない。しかし荷重はそこにいた。怖いと思っていたスピードでコーナーに入ってもわずかにブレーキを当てることにより外側の車輪に発生。今までであれば既に外側へ滑り出していたスピードでもしっかりグリップしている。小さく回りすぎてイン側の縁石に当たりそうになるくらい曲がる。荷重との突然の出会いだった。長年慣れ親しんだ安全速度を作ってからコーナーに入るという悪しき習慣から解放された瞬間だった。今まで偶然に頼っていたベストラップも平均的に出せるようになり更にはカートの快適性が向上。腕に付けているガーミンのスポーツウォッチが運動と認めてくれないほど楽に乗れるようにもなった。荷重万歳。そしていつもありがとう普通車のディファレンシャルギア。
荷重を操るきっかけには到達しているがこの時点ではまだ荷重コントロールができていない。そしてもう一つ操作としての若干の勘違いが残っている。
てっさんの計らいでGTカーの練習会に参加した。大観選手の面倒見てもらってるだけなのにこんなに楽しませてもらっていいのだろうか。荷重がわかってきてから箱車に乗ると色々なことがわかる。今までは先人達によって完成された車に乗せてもらっていた事がよくわかる。でたらめに乗っても高い性能を発揮する普通車に搭載された装置の数々。これらの装置は荷重等がわかってから乗ると、自分がミスをした最後の部分を車が助けてくれる究極の武器となる。
てっさんは次々とカート以外のハコ車や鈴鹿の本コースで走るような車両を耳元でさり気なくささやく。自分の意志で色々と決定しているつもりなのだが実は洗脳されているんじゃないかと心配になってきた。
石野サーキットで練習をしていると、最近面倒を見てくれる人が増えた。FIA-F4を賑わす鶴田哲平選手だ。別け隔てなくチームメイトの面倒を見てくれる。息子と同い年だが「メイト」だ。もとい、先輩...。
「木村さんは理屈っぽすぎるから、もうちょっと感覚で走って見られたらどうですか??」本人は思ったことをそのま口にしただけかもしれないが、丁度伸び悩んでいたところにこの言葉が結構効いて転機につながっている。もう少し自分を信じてパワーオンで1コーナーに飛び込んでいくきっかけに。
石野サーキットには大小様々なコーナーが13ある。オジサンにとっての恐怖は1〜2コーナー、5〜6コーナー、9コーナー、12コーナーの4箇所。特に恐ろしいのは1〜2コーナーと12コーナー。このしょうもないストーリーを読破してきた懸命なオジサンのあなたには伝える。特に恐ろしいのはスピードが乗っているからだ。そして曲がれない病が完治していないステップなのだろう。結論から言うと曲がることに関しては高度な技術でなくても十分曲がれるのでまず基礎技術を練習しよう。プライドを重んじて先を急ぐあまり命がけで我武者羅に走って、しかも汗をカキカキ、なんならステアリング大回しのフロントブレーキで無理やり曲がってないだろうか。これではもうタイムは伸びないし、大体疲れるし、そもそも怖い。安定してないから。何かの拍子でいつ飛び出すかも分からない。そもそもカートは度胸で乗るものではない。最後は度胸だが。
チェッカーフラッグやレッドフラッグでピットに戻る時の事を思い出してほしい。「ゆっくりとは言えいつもこんなにしっかり曲がってくれればいいのに」と思った事はないだろうか。これはスピードに対して外荷重がしっかりと働いており、ガードレールがあるかのように曲がれているということ。この経験があるのであれば、あなたは既に外荷重を手にしている。では何故中高速域ではうまく行かないのか。それは恐怖で同じ操作ができていないからだ。オジサン臆病は手に負えないと思ったスピードから突然発症する。その結果必要以上にブレーキを踏んでスピンを誘発したり、いわゆるアクセルを緩めて惰性での走行状態(=グリップのない状態)にしてしまい、更に恐ろしい目に会ってしまう。とどめはカートが外側へ流れ出すと怖くてハンドルにしがみつき、無意識に体や頭を守ろうとイン側へ体を寄せていく。残っていた外荷重もこれで全て抜けてしまって、カートはクッション材へと突入していく。
ちょっと早すぎたらちょっとブレーキを増やせばいい。必要な速度と安心できる速度は違うし、安心できる速度まで落とそうとしても間に合わない。そして怖いからと言って少々体を壁から遠ざけたところで追突は回避できないし、当たったところでクッションが緩衝してくれる。スピードは上げたか上げないか分からない程度に少しずつ増速し、体感的にこれくらいかな〜というスピードを掴んでほしい。なに?スピードメーターが無いからわかりにくい??でもね、メーターなんて忙しくて読めないですよきっと。特にコーナー入口は。
基礎練習はもちろんのこと、日頃から様々なチャレンジやセッティングを試す。ある日、新しいスプロケットを装着したトニーカートに搭乗しピットアウトした。スピード調整をしながら合流、右回り1〜2コーナーをクリア。アクセルオンで左まわり3コーナーに入ろうとしたところ、急な轟音と共に車の挙動がおかしくなった。操縦できない訳ではないがアクセルが効かない。減速しながらコース外へカートを誘導しようと思ったその時、視野の右奥に機嫌良さそうにスキップしながら転がっていく後輪が目に入った。
「ホームストレート側に行ったら危な〜い!」
と思ったところでどうすることもできなかったが、その時できるこ事としては縁石の外側に車両を安全に停車させて後続車両に大きく手を降るぐらいであった。転がっていったホイールもタイヤバリアーで止まっていた。やれやれ。
1周すら走ることが許されなかった新しいスプロケットはカマボコのような形状となりながらも第5輪目としての責務を全うし精一杯マシン底面を守りきってその生涯を終えた。君のことは決して忘れない。ホイールナットの増し締めは繰り返し確認しよう。
「石野は全部で10コーナーや。」
一瞬何を言っているのかわからない。
「1と5と13はコーナーや無いで。」
これはアクセルオンで行けという意味だった。外荷重がわかっていれば難もない話なのだろうが、ここに到達するまでにオジサンは時間がかかる。と言うか、恐ろしすぎて無理だ。今の所は。
考えるきっかけと、カペタを貸してくれた後輩が移籍していった。彼ら(親子)のおかげで1つのオジサンスランプを乗り越えられたような気がする。ありがとう。でも毎週会う。別なパドックにいるから(笑)。さすがFD早いね。
2021FIA-F4のテッペー選手が後輩たちの育成に石野サーキットにもやってくる。何やらチームメイトにF4の戦果について報告している。
「それでな、コーナーでアンダー出まくって何ともならんかったんや。」
「それってひょっとしてただ曲がりきれなかっただけjy 木村さん、俺は小さい頃からどんな事でもカッコよく話さんといかんと教育されとるんや。」
「あ、あぁそうだね。そうだよね。レーサーはカッコよくなきゃいけないからね。」
そうだった。いや、そうなのだ。フォーミュラーパイロットはいつ何時も皆の憧れ。皆のヒーローでなければならない。大観選手はカッコいいかな?
オーバーホールしたエンジンの受領にMie Route 1サーキットに赴くと、いきなりてっさんからSodiによるサシでの勝負を挑まれた。敗け。負けた場合は翌週のSWSに参戦という筋書きだった。しかしホームコースでの勝負はさすがに強い。
そして翌週はSWS Rd.5 & Rd.6参戦。敗退。世界チャンピョンとその仲間たちから世界の空気を感じた。え?最初にてっさんが乗った3号車は絶好調仕様だったって?またこの展開か...。
美浜サーキットで開催されたJKレーシングさま主催の2時間耐久レース。ピット回数5回、述べ6ドライバーでの戦い。何度も参戦してはいるものの、時には全日本の選手も登場し、強豪が行く手を阻む。容易に前に出ることが許されない。
コンディションはドライ?湿度は85%。夜露が降りている。徹底した減量と考え抜いた作戦で2時間走破に挑む。ファーストドライバーは園長キムタク。2LAP目の最終コーナー、ライバルカーが突然スピン。行く手を阻まれ追突しながらも先を急ぐが、既に6番手。早々に優勝はなくなったのか?後から聞いたが大観もやらかしかけたらしい。更に表彰台は遠のく。2ドライバーでの交代になるため、一度走り出すと打ち合わせすらできない。それでもベストを尽くす。ノーミスに努め虎視眈々とオーバーテイクチャンスを狙い、逸る気持ちを抑えて周回を重ねる。湿度85%2ドライバーの2時間耐久は堪える。
5回目のドライバーチェンジを終え、最終スティンは大観選手。丁寧な走りとノーペナルティーが功を奏し暫定2位。トップとのギャップは+26秒。続いて先頭車両がピットイン。ギャップは...ー11秒。先頭に出た。「大観、守りきれ!」終盤、大観は絶好調になり、Fastest Lapに迫るタイムで周回を始めた。掲示板のタイマーが0:00:00を表示し、最終コーナーから現れたのは12号車の大観だった。嬉しかった。ジョークが好きな彼だが、このホームストレートはまっすぐ走ってきた。振り下ろされるチェッカーフラグ。ギャップー15秒。
スプリントレースではなく、親子で上がる表彰台。レース歴が全く無かった父親に感極まる経験ををありがとう。大観。表彰台等の壁紙に似合いそうな写真もあったが、自分にとって最高なのはこの瞬間だったよ。
コーナーに差し掛かり、アクセルを緩めるとその反動で足がつった。夏場に多いのだが、水分と塩分そしてミネラルが不足すると足がつりはじめる。木村親子は汗を書くような日には現場の相棒シリーズの「チェッカーフラッグの相棒」(中身は同じ)を塩分ミネラル不足防止で口にしています。
アスリートたちは汗で体重を2%以上に落とさないように気をつけているらしい。なぜならパフォーマンスが低下するからだ。自分は裸で63Kgなので61.7Kgが下限ということになる。夏の試合はこれ以下になってるので気をつけないと。
基本はレモン味だが、最近では乳酸菌飲料味タイプもラインナップしているらしい。公式ページでチェックだ!
前荷重、後荷重、繊細な部分はさておき要約して外側荷重。インリフトにも繋がるのだが、切りすぎないハンドルと外荷重を利用できるようになるとレインも含めてよっぽどの事がない限り飛び出していくことはなくなる。これがわかって初めてライン取りを考えたり選択できるようになるといってもいい。オジサンに必要なのは自分で外荷重をかけて曲がれるようになることに他ならない。この一番大切な事が歳のせいか最後まで分からないのがオジサンの宿命。もし早々と体得できたのであれば、それを生かして練習してカートを楽しんでほしい。そうでなくても外荷重探し自体もオジサンの楽しみかた、かな。
いつも表彰式後にパドックで行われるミーティング。成果を称え合ったり以降の練習に活かすべく反省点を整理したりする。勝って嬉しい選手、悔し涙を隠しきれない選手、話題にもならない選手(オレ)など様々だ。ある日、長谷川社長自ら話を振ってきた。
「いやー木村さん上達してきましたね。アベレージも早くなってきている。」
素直に嬉しい言葉だ。
「という訳で、オレはもう走らん。木村さんオレより早くなったから。」
「!?」
カートのおぼつかない時代に社長とした「一回ぐらい一緒にレースに出て走りましょうよ」という約束に対する答えだった。夢は引きずり今日に至り、実現することなく散ってしまった。多分GTとかVitaとかフォーミュラEnjoyとか自分のテリトリーなら走ってくれるんだろうな。その辺も練習しないといけないのか?オレ。
この時点では、まだ条件付き外荷重、条件付きライン取りと言える状態だった。条件が揃っていないと荷重が維持できないのだ。何時でもどこでも荷重を発生させて必要な場所にノーズを差し込めて初めて荷重制御ができていると言えよう。果たして園長はそこまで行くのか?